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(1)
校長:「カエルの声、って昔はありふれたものだったんだよ」
教頭:「そりゃそうでしょう。今と違ってどこもかしこも土の地面、草むらなど緑がいっぱいでしたでしょうから」
校長:「ま、そういうことだな。だからこそ、カエルの声はどこでも聞けて、普通のものだったんだ」
教頭:「というのは?」
校長:「実はね、『宇津保物語一』の「俊蔭」という章のなかに、「正客正頼の請いに仲忠琴を弾く」というくだりがあるんだ。仲忠は琴の名手で、その琴の音を聞くために正頼がお酒をすすめ、ぜひ聴かせて欲しいと懇願するという話だ。そのとき仲忠は
「(略)今日の御饗(おんあるじ)に仲忠が手つかうまつらうむは、蓬(よもぎ)の野べに、蛙(かはづ)の聲(こえ)する心地なむ、つかうまつるべき」
(訳:今日のご馳走に仲忠がつたない調べをお聞かせ申し上げるのは、ちょうど蓬の野辺に蛙が鳴いているようにつまらなくて、がっかりなさることでしょう)
と答えたんだ」 |
(2)
教頭:「なるほど、そこらでいつでも聞こえるカエルの声のように、至って普通で特別なことはないんですよ、ということですね」
校長:「ところが、実はそうじゃない。この仲忠という人物は、代々の琴の名手でその腕前を大切にしているために、自重して人前では弾かなかったというんだな。だから、これは卑下したのではなく、「琴を弾くことは、わたしにとってまったく普通のこと」という自信の表れだったんだ」
教頭:「へぇ。これはまた、えらく遠回しな自信の表現ですね」
校長:「平安時代では、こうした遠回しな表現が好まれたからね。また中国の『南史』にある故事で、ある人物が自宅の庭を蓬が生えるにまかせ、蛙の声を聞き、「朝廷の音楽よりよっぽどいい」といった話があるそうだ」
教頭:「そりゃうれしいですね」
校長:「われわれの鳴き声は、いつも同じじゃないからね。同じように聞こえていても、途中で別の種類のカエルの声が入ってきたり、同じ種類でも声質の差があったりするから、風流な人ほど好んでくれたのかもしれないな」
教頭:「そうですね」 |