(5)このお堂を正面から見て左側に、小さな石碑が建っています。ここになぜ蛙を収めた御堂があるのか、その由来について記してありました。
蟇塚由来記
天保の頃、当山の檀家に秋山某なる人があった。故あって家業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う。大正十二年関東大震災の折、東京は一瞬にして焦土となり当山もまた烏有に帰したがその時の墓守関某という人が霊感する所あって、土の中より件の碑を探り出し、小さな堂を建てて祠った。
丁度その頃下谷に千八という人がおり、この蛙蟇塚に願をかけた所、大きな御利益を得、遂に一念発起して現在の地に蟇堂を建て、人に逢うごとに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した。
千八師は自らも歌舞をよくし、この方面に宣伝した為に、花柳界、歌舞演劇界、映画芸能界等金銭物資の出入や、人気稼業方面に信者が多い。昭和二十年三月の大空襲で全焼したが、戦後いち早く下谷の高田家、保袋家氏等の尽力で復興し、今日に至って居る。動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである。昭和五十一年に至り、堂宇の傷み甚だしく、ここに恒久的堂宇の再建を発願した所、詣者多数の賛同と協力を得て、昭和五十三年七月二十日、新蟇堂の完成を見た。 |