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猫のあしあと
(龍鳴山本覚寺)

 

■大江戸蛙捜査網其ノ十
今月も大江戸蛙捜査網で、台東区の龍鳴山本覚寺です。
(1)メトロの浅草駅と、JR上野駅のちょうど中間あたりに位置する龍鳴山本覚寺は、天正19年に円了院成身日満が開基、上行院日覚が開山となり創建したと伝えられる日蓮宗の寺院です。もとは馬喰町にあったようですが、明暦の大火の後、現在の台東区松が谷に移転しました。
本覚寺
蟇堂
(2)コチラのお寺、こういっては何ですが、けっこうエキセントリックな雰囲気がございまして、いろいろアレでございました。知りたい方はぜひ、実際に行ってみて下さい。
それはさておき、この本覚寺の境内に、蟇堂というお堂があり、ここがまたさらにすごいのなんの……といったところでした。
蟇堂を正面から見たところ
蟇堂の内部
(3)これが正面から見たところです。遠くからではわかりにくいですが、このお堂の中には、数多の蛙像が収められています。その殆どが、信楽蛙だと思います。
(4)こちらが、もっと近付いて撮った写真です。とにかく中は、蛙、蛙、蛙。あのかえる娘でさえ、「ちょっと、こわいな」と言ったくらいの迫力でした。

(5)このお堂を正面から見て左側に、小さな石碑が建っています。ここになぜ蛙を収めた御堂があるのか、その由来について記してありました。

蟇塚由来記
天保の頃、当山の檀家に秋山某なる人があった。故あって家業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う。大正十二年関東大震災の折、東京は一瞬にして焦土となり当山もまた烏有に帰したがその時の墓守関某という人が霊感する所あって、土の中より件の碑を探り出し、小さな堂を建てて祠った。
丁度その頃下谷に千八という人がおり、この蛙蟇塚に願をかけた所、大きな御利益を得、遂に一念発起して現在の地に蟇堂を建て、人に逢うごとに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した。
千八師は自らも歌舞をよくし、この方面に宣伝した為に、花柳界、歌舞演劇界、映画芸能界等金銭物資の出入や、人気稼業方面に信者が多い。昭和二十年三月の大空襲で全焼したが、戦後いち早く下谷の高田家、保袋家氏等の尽力で復興し、今日に至って居る。動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである。昭和五十一年に至り、堂宇の傷み甚だしく、ここに恒久的堂宇の再建を発願した所、詣者多数の賛同と協力を得て、昭和五十三年七月二十日、新蟇堂の完成を見た。

蟇堂由来
境内の蛙1  境内の蛙2  境内の蛙3

(6)境内には、大型の蛙石像も多数奉納されていました。