前号において、明治時代に紹介された「カエルカレー」について考察をしてきたぱくぱく校長とおフランス教頭ですが、その後の調査はどうなったのでしょうか? |
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前号の最後で、インターネットで調べていた二匹は、『カレーライスがやってきた』という本の中で、「カエルカレー」について書かれていることを突き止めました。そこでさっそく向日市立図書館に赴いて、この本を借りてきたのですが・・・
校長:「おぉ!?この人たちは、実際に明治時代のレシピでカレーを作って食べているぞ!」
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校長:「さて、肝心の「なぜ日本初のカレーライスにはカエル肉が使われていたのか?」ということだが・・・?」
教頭:「この本によりますと、肉食の習慣がなかった日本人には、魚介類のカレーがなじみやすいだろうとの配慮であったのではと書いてありますね」 校長:「ふむ、インドやイギリスではシーフードカレーが当時からあったわけね」 教頭:「そうです。しかしそこになぜカエル肉が加わったのかという点に関しては、この本の著者「森枝卓士氏」も、イギリス人が連れてきた中国人のコックさんのレシピと混ざったのではないかと考察されてます」 校長:「新聞のコラムを書いた「小菅桂子氏」もそのように書いていたなぁ。でも、何でイギリス人が中国人のコックさんを連れていた訳よ?」 |
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教頭:「そこで、世界史を振り返ってみてみましょう。19世紀に入った頃、イギリスを筆頭とするヨーロッパの資本主義列強が、アジアに進出してきました。特にイギリスはインドを植民地として支配すると、そこを拠点としてアジア各地に進出して行ったのです」
校長:「あ、その時にインドのカリーがイギリス人の手によってカレーと化したんだね?」 教頭:「そうです!インドのカリーは何種類物スパイスを組み合わせて作るものですが、イギリス人はスパイスをあらかじめ組み合わせておいた「カレー粉」を考え出したんです」 校長:「なるほど」 教頭:「話を世界史に戻しますが、インドを拠点としてアジア進出を狙うイギリスは、中国、当時は「清」という国名でしたが、今度はそこへの進出を試みたのです。そしてインドで収穫されたアヘンを中国へ密貿易でもちこんだことが原因で、1840年に第一次アヘン戦争が勃発しました。この戦争は1842年にイギリス側の勝利で終わっています。またさらに第二次アヘン戦争が1856年〜60年にあり、これもイギリス側の勝利でした」 |
校長:「つまり、二回に渡る戦争で負けたため、中国人がイギリス人に従わざるを得なくなったんだね」
教頭:「ええ、それでイギリス人が中国人を使用人として日本へ連れてきていたと考えられます。この本によりますと、中国でも南部の方々は、カエルをよく食べるそうですよ」 校長:「おっ!?そういえば、アヘン戦争前後において、イギリスが中国における拠点としていたのは、南部の広州ではないか!」 教頭:「そうです、先頃中国に返還された香港のすぐ近くです。ふむ、これで日本初のカレー肉にカエルが使われた理由として、何となくつじつまがあいますね」 |
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校長:「しかし、やっぱり牛や豚で紹介してもいいような気がするなぁ」
教頭:「前回お話したかと思いますが、当時の政府は食肉を奨励する政策をとったわけですけれども、庶民にしてみれば、ずっと「穢れ」であるとされた獣肉をいきなり「食べろ」と言われてとまどったようです。何しろ牛や豚を屠るにあたって、神主が呼ばれ穢れを払う儀式が行われていたそうですから」 校長:「つまり、手っ取り早く西洋料理を広めるには、牛や豚では手間がかかったというわけか」 教頭:「そんなとこでしょう」 |
校長:「ま、カレーは美味くてカエル肉でなければ、なんでもいいがね」
教頭:「・・・・・・」 |
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二回にわたる「カエルカレー」の考察は如何でしたでしょうか?ちょっと賢くなったような気がしますね(笑)。今度カレーを食すときには、ここで学んだことを他の方にもお話してみては如何でしょう?きっと尊敬されること間違いなしですよ! |
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フリーマーケットで入手した、けっこうリアルなカエルブローチです。スーツの襟元にあしらってみようかな?とは思うものの、実行する勇気がちょっと・・・(笑)。 | 我が友、marimoちゃんから贈られた信楽焼きのカエル貯金箱。「へっ」と言わんばかりの口元と、斜め上を見上げた面構えに惚れました。 | すだれが背景となってわかりにくいかもしれませんが、こちらは風鈴のカエルさんです。Garyさんからカエル缶と一緒にいただいたものですが、この季節に紹介するのが一番だと思い、今月号での登場となりました。チリチリといい音がします。 |