クラス便り12月号

 11月のある日、事務長一家は京都府綴喜郡井手町にある「山城多賀フルーツライン」にミカン狩りに行くべく、ネットで情報を集めておりました。その時井手町に「蛙塚」なる場所があることを知ったので、ミカン狩りの後で取材に訪れたのです。さて、そこはどんなところだったのでしょう?
 京都府綴喜郡井手町井手。JRの路線でいうと、奈良線玉水駅にあたります。ここは奈良と京都を結ぶ街道である「山背古道(やましろこどう)」の通り道にあたり、万葉の昔から多くの歌人が歌に詠んできた地であります。特にこの辺りには「山吹」の花が咲き乱れ、清流ではカジカガエルの鳴き声が響いたとか。それ故、井手の枕詞として「かはづ」(カジカガエル)が用いられるようになったのです。
 その縁で1995年に作られたのが「蛙塚」。蛙塚へ至る路を示す道標の上にも、ちょこんとカエルさんが乗っていました。
 「蛙塚」のあたりは古来よりの湧き水が、今なおこんこんと湧き出ています。しかし肝心のカジカガエル達は、玉川(井手川)の護岸工事と、昭和28年の水害により、絶滅したそうです。
 では一体どのような歌が残っているのでしょう。歌碑になっていたのは、

 あしびきの 山吹の花散りにけり 
           井でのかはづは今や鳴くらん

 これは『新古今和歌集 巻第二 春歌下』にある藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の和歌です。

 また別の歌碑には

 音に聞く 井堤の山吹みつれども
             蛙の聲はかわらざりけり  

 こちらは紀 貫之(きのつらゆき)の歌です。出典は『貫之集 第九』。

 他にも『古今和歌集 春下』 よみびとしらず

 かはづなく ゐでの山吹ちりにけり
            花のさかりにあはまし物を

 
など、井手にかかわる歌には「山吹」と「かはづ(カジカガエル)」が欠かせない存在となっています。平安時代の三十六歌仙と呼ばれた一流の歌人たちは、みな井手のかはづについて和歌を詠んでいるそうです。             

この日は近所の子供たちがザリガニ採りをしていました。
 さらに『無名抄』という歌論集では、次のように書かれています。

「井手の川づと申す事こそ様(さま)ある事にて侍れ。世の人の思ひて侍るは、たゞ蛙(かへる)をば皆かはづと云ふぞと思へり。それも違ひ侍らね共、かはづと申す蛙は、外にはさらに侍らず、只井手の川にのみ侍るなり。色黒きやうにて、いと大きにもあらず、世の常の蛙のやうにあらはに跳り(おどり)歩くこともいとせず、常に水にのみ棲みて、夜更る(ふくる)程にかれが鳴きたるは、いみじく心澄み、物哀なる聲にてなん侍る。春・夏の比必ずおはして聞き給へ」

 井手の蛙はその辺のアマガエルやトノサマガエル達とはちょっと違う。いつも水の中に棲んでいて、夜が更けた頃に良い声でなくんだよ。だから春・夏になったら必ず聞きに行った方がいいよ、という趣旨のお話です。

「蛙塚」へのアクセスは、右図を参照ください。

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