校長:「カエルってのも楽じゃないよ、まったく」
教頭:「同感です。自然にいるときには、常に捕食者の目を気にしないといけませんからね」 校長:「休まるヒマもない」 教頭:「でもそのために体色をかえたり、毒をもっていたりするんですけどね」 |
アマガエルは色も変わるし、あまり 知られてないけど、毒ももってるよ |
当校の近所では、写真のコサギの他、アオサギ、 アマサギなどをよく見かけます。 |
校長:「捕食者といえば、鳥やヘビだね」
教頭:「そうですね。K-1の選手をスカウトに行った時にも、シマヘビと出会いましたし。それにアオサギ、コサギ、アマサギなど、サギ類が田んぼで待ちかまえているのもやりきれません」 校長:「そういや、昔、鳥除けに池に縄を張ってくれた宮様がいたそうだ」 教頭:「ほう?」 校長:「『徒然草』の上第十段の後半で (前略)綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かの例(ためし)思ひ出でられ侍りしに、誠や、「鳥の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。 訳:綾小路宮(亀山天皇の皇子)がいらっしゃる小坂殿(妙法院という寺院の別称)の棟に、いつだったか縄をひいたらしいが、以前あったこと(さる貴族が、自分の家の屋根にトンビをとまらせたくないとして縄を張っていたところ、歌人の西行がこれをみて「トンビがいたところでなんの差し支えがあろう。この殿の御心はその程度のものなのだ」として、その後その家に行かなくなったという話)を思い出しておりますと、本当は「鳥が群れなして池の蛙をとるのをご覧になり、かわいそうにおぼしめされて」と人が話しており、それならまことにりっぱなことだと感じた。 とある。この宮様は出家なさっていたそうだから、仏の御心でこのようになされたのだろうな」 教頭:「ありがたいことです」 |
校長:「それからヘビの話としては『明月記』だな」
教頭:「藤原定家の日記ですね」 校長:「うん、その寛喜二年(1230)の六月のこととして 寛喜二年六月廿四日、東小壷に蛇あり。友村を以て取り棄てしむるに、腹中に物飲み、庭中出づるの間、漸うこれを吐き出す。蛙なり。未だ死せず。漸う搖り水中に入らしむ。無事存命云々。蛇に於いては川原に棄つ。蛙は已に生くれば悪しき事に非ざる哉。(原文は漢文) 訳:1230年6月24日、東の坪庭に蛇がいた。家来の友村をつかって棄てさせるとき、腹になにか飲み込んでいて、庭中から出るあいだに吐き出した。蛙であった。まだ死んでないので、ゆすりながら水中にいれた。無事に生きていたとか。蛇は川原に棄てた。蛙は生きていたのだし、不吉なことではないなあ。 うんうん、こりゃいい話だ。カエルが生きていてよかったよ」 教頭:「きっと飲まれてそんなに時間が経ってなかったんでしょうね」 |
藤原定家 「この寛喜二年って年は、疫病が 流行るなど、不吉なことがたくさん あったのです。我が家で蛇を見つけた 時には不吉の前触れかと思って ぎょっとしましたが、このような幸いな 結果でほっとしております」 |
「え、どうなんだ!?人間様よ。 膝をつき合わせて小一時間問いつめたろか?」 |
校長:「ときに、カエルにとって一番恐いものってなんだと思う?」
教頭:「うーん、私は鳥が恐いです」 校長:「確かに鳥も恐いけど、一番やっかいなのが人間様なんだな」 教頭:「…確かに。農薬に輪禍、アスファルトの道では水分が奪われ、そのまま張り付いてミイラになってしまうこともあります」 校長:「そう。そして人間様がやっかいなのは、昔も一緒だったんだよ。鴨長明が書いたのではないかと言われる『四季物語』の四月には みくさ清きあぜの夕くれは、秋ならねどもあはれおほかれど、蛙といふものは、えせたるむしにて、人の足になれ来て、ともすれば、沓の下にしかれて、うでをひしがれ、身をあやぶむ、律だつひじりなどは、此比はあしをとゞむるも、むづかしき身なるべし、 訳:草がきれいなあぜ道の夕暮れは、秋ではなくても感動することが多いけれど、カエルというものは、虫みたいなもので、人の足元に近寄ってくるから、ともすれば、沓の下に踏まれて腕をひしがれ、身を危険にさらす。戒律のあるお坊さんなどは、歩くことさえ難しい …あのな、春先のあぜ道の夕暮れは、カエルにとっては大事な恋の道なのよ。そこをわざわざ歩かなくてもいいじゃないか!それに踏むなよ!近寄ってくるからと言い訳してるけど、足元をよく見て歩いてくれよ」 教頭:「まあまあ、そう興奮なさらず…」 |
校長:「おう、それにな、他にも人間様の恐さを知ることができる話があるんだが、それはまた来月」
教頭:「え、ネタを引っ張るつもりですね?」 校長:「それは言いっこなしで、よろしく」 |
校長:「最近は、怒り芸で売ってます」 |