「痩せ蛙 まけるな一茶 是に有り」 『七番日記』文化十三年(1816)
この人の名前は、小林一茶。江戸時代の俳人です。
クラス便り2002年8月号でも、少し紹介したことがありましたが、今月は「痩せ蛙 まけるな一茶 是に有り」の句を詠んだと言われる、東京都足立区にある炎天寺のレポートです。
こちらが炎天寺。東武伊勢崎線、竹ノ塚駅が最寄り駅になります。
炎天寺は天喜年間(1053〜1057)に源頼義、義家親子が、前九年の役(奥州安倍一族との戦)のおりに、この付近で苦戦を強いられ、石清水八幡宮に祈願し勝利したので、そのお礼として八幡宮と炎天寺を建立したと、縁起にあります。

一茶が「痩せ蛙〜」の句を詠んだのは、『七番日記』の文化十三年(1816)の部。句の前書きとして「蛙たたかひ見にまかる、四月廿日也けり」とあり、どこで見たのかははっきり言及されていません。

本堂前には大きな福蛙がいました。


 
 
池のまわりにも、たくさんのカエルが。
それに加え、一茶の当時の日記から、当日は信州高井郡にいたと記されていることから、長野県小布施にある岩松院との説もあります。しかし、一茶没後に編まれた『一茶句集』に「武蔵野の国竹の塚といふに蛙たたかひありけるに見にまかる、四月廿日なりけり」とあるので、炎天寺とする説が有力です。
そこで炎天寺では、「痩せ蛙〜」の句にちなんだ像と句碑を建て、11月23日の一茶忌にあわせて「一茶まつり」を開いています。
 
至る所にカエル

また竹ノ塚界隈では、マンホールや街路に、一茶の句にちなんだ装飾がほどこされていました。

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