しかし三足の蛙の必死の訴えも届かず、早朝、光秀の軍勢が本能寺を取り囲みました。物音に家来の喧嘩といぶかしむ信長公に、森蘭丸が「明智の軍勢にございます」と注進に及ぶに至りました。そして必死の応戦も虚しく、信長公は「殿中奥深入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て、無情に御腹めされ」たのでした(『信長公記巻十五』)。 |
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現在、本能寺は京都市役所の南側に位置していますが、本能寺の変の他、何度か焼失してこの位置に再建されました。本能寺の変があったころは、三条油小路付近にあり、現在の町名に「本能寺町」「元本能寺町」とその名を残しています。 |