カエルが見守る恋の行方〜『伊勢物語』二十七段〜
(1)昔、おとこ、女のもとに一夜いきて、又も行かずなりにければ、女の、手洗ふ所に、貫簀(ぬきす)をうち遣(や)りて、たらひのかげに見えけるを、みづから、

我許(ばかり)物思人は又もあらじと思へば水の下にも有けり

とよむを、

(昔、ある男性が女性のところに一夜通い、二度とは行かなくなってしまったので、女性は手を洗うときに、たらいにかけたすだれをふと払いのけて、たらいの中の水鏡に映った自分の影をみて、(男性に贈るつもりではなく)ひとりで

「この私ほど物思いに悩む人はほかにはいないだろうと思っていると、水の底にもそういう人がいたではないか」

と詠んだのを)

(2)来ざりけるおとこ立ち聞きて、

水口に我や見ゆらんかはづさえ水の下にて諸声になく

(通ってこなかった男性が立ち聞きをして

「水口には私の顔が映って見えたのでしょう。あの蛙でさえ、水の底で声を合わせて鳴いていますが、私も貴女と一緒に泣いているのですから」)

(3)『伊勢物語』二十七段は、男性の歌で終わっています。男性の歌の中で、「蛙が鳴いている」とあるから、季節は初夏でしょう。大合唱するカエルたちは、恋のまっただ中。その中を、これまで忙しかったのか、はたまた他にも想い人がいるのか、久しぶりに女性に会おうと通ってきたところに、物思いにふける女性の姿をみて、この男性の心中やいかに。
 このあと、この恋人たちはどうなったのか。終わり方に余韻があり、読み手の想像をかき立てます。