聖衆来迎寺@滋賀県大津市

  (1)滋賀県の西部、湖西といわれる地域の一つに、大津市坂本があります。坂本は比叡山延暦寺の門前町として古くから栄えた町で、比叡山に運ぶ物資が集まったことから、室町時代には都である京都よりも経済活動が活発で、多くの馬借(ばしゃく=運送業者)や土倉(どそう=金融業者)が集まったといいます。
  戦国時代には、経済上かつ都への監視という重要な役割を持つ土地として、織田信長は家中一の家臣である明智光秀に統治を任せていました。そのためにこの坂本には、明智光秀にちなんだ史跡が数多く残されています。
(2)今回ご紹介する紫雲山聖衆来迎寺も、山門は明智光秀が湖岸に築いた坂本城の門を移築した物だと伝えられています。
その山門をくぐって、右手前方に見える本堂の手前の広場に、可愛らしい一角がありました。

(3)築山には目玉ぎょろり系のカエル像と、ワンコや猪という珍妙な組み合わせ。
 
(4)このお寺、織田信長による比叡山焼き討ちから逃れた寺院で、そのために古くから伝わる寺宝などがたくさんあり、「近江の正倉院」とも言われています。
 なぜ焼き討ちに遭わなかったのかは、それは織田信長の小姓として名高い森蘭丸の父親、森可成(もりよしなり)の墓所があるからだと言われています。
 境内の奥には、森可成の苔むした大きな五輪塔があり、お参りする人が絶えないそうです。
■関連リンク

聖衆来迎寺wiki