平将門はカエルがお好き!? @京都・神田明神

(1)2006年2月号のクラス便りで、「平将門はカエルがお好き!?」というタイトルで、将門塚のレポートを掲載しました。
 今月はその続きで、場所は京都でございます。四条烏丸を西に行き、二筋目の新町通と三筋目の西洞院(にしのとういん)通の間、南側に、路地があります。
 この路地は、「膏薬の辻子(こうやくのずし)」と言われていました。なぜ膏薬かというと、市聖(いちのひじり)として名高い空也上人(くうやしょうにん)が、ここである人物の供養を行ったということで、「くうやくよう」がなまって「こうやく」→「膏薬」となったそうです。
 で、その人物が平将門公というわけです。
(2)平将門は板東(ばんどう)の地で討たれた後、その首級は都に送られ、この地でさらし首になったとの伝承があります。
(*天慶とは938年〜947年のこと)
 その首が胴体を探し求めて東へ飛んだとか、大声で叫ぶなど、当時から祟りがあると言われていたためか、空也上人が将門の供養の為にこの地にお堂を建てました。
 その後、年月を経て、平将門公をお祀りする東京の神田明神から、祭神として公をお迎えしたことで、空也上人のお堂は京都の「神田明神」とあいなりました。
(3)東京の将門塚には、カエルがたくさん置いてありますが、ここ京都の神田明神にも、石のカエルが鎮座ましましていました。こちらのカエルは、「板東へ帰る」の意味が込められているのでしょうか?


(4)この路地をさらに南に下がると、木版画の和紙小物を扱う竹笹堂があります。その周辺には風情のある町屋店がいくつかあるので、こちらにもぜひ足を伸ばしてみてください。