かえるの学校

『和漢三才圖会』より蟾蜍(ひきがえる)(2018年11月号)

江戸時代の百科事典『和漢三才圖絵』

 『和漢三才圖会』とは、江戸時代に編纂された百科事典です。これは中国の明の時代に編纂された『三才圖会』をお手本に、大坂の医師寺島良安が日本版を作ろうと思い立ち、30年余年かけて編纂したものです。内容はその項目についての特徴を解説するほか、東洋医学的見地から漢方の「性味(気味)」やどんな病に効くのかという解説が目立ちます。そのほか中国の書物からの引用も多く見られます。編者がその項目に対して思ったことなども書かれていて(△マーク以下がそれ)、それもなかなか興味深いです。『和漢三才圖絵』は国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧ができます。リンク可能とのことなので、こちらでも項目毎にリンクを張ってご紹介します。
 まず今月は巻第五十四湿生類より「蟾蜍(ひきがえる)」(←コマ番号282をご覧下さい)をご紹介します。

「蟾蜍」とは

  『本草綱目』(虫部、湿生類、蟾蜍)に次のようにいう。蟾蜍(辛、涼で微毒)はその皮汁のたいへん毒がある。人家の下の湿地にいる。形は大きく背中にぶつぶつが多く、頭はとがって腹は白く、眉はせまい。声は濁って鳴き声は不明瞭。歩くのはとても遅く緩やかで、跳躍することはできない。口から子を吐いて産み、糞を口から投げ出す。あるいは蟾蜍をとり、縛って密室の中に入れて閉じ込めておくと、翌朝自ら縛られて縄をほどいている、と。
 また『抱朴子(ほうぼくし)』(中国の晋時代に編纂された神仙術に関する諸説を集大成した本)には、次のようにある。蟾蜍は千年を経ると頭の上に角が生え、腹の下には丹書(赤い文字)がある。この蟾蜍を肉芝(にくし)という。よく山精(さんせい=山に住む人または狒狒(ひひ)に似た怪物)を食べる。人はそれをとって食べる。仙術家は肉芝を用いて、霧を起こしたり雨乞いしたり兵を避けたり縛られた縄をほどいたりする、と。(中略)
 蟾には三足のものがある。けれども亀・鼈(すっぽん)にも三足のものがいるので、おかしいことではない。そもそも蟾蜍は土の精で、上は月魄(つき)に感応し、性は霊異で土に棲んで虫を食べる。また山精を圧伏し、蜈蚣(むかで)を制する、よってしばしば陽明経(人体をめぐる12の経絡の一つ)に入って虚熱を退け、湿気をめぐらして虫を殺す。疳の虫・できもの・諸瘡の要薬となる。五月五日に東に向かって歩くものをとり、これを陰干しにして用いると、。
土檳榔(つちびんろう) 蟾蜍の屎である。下湿の所によくあり、またよく疾をなおす。
△思うに、蟾蜍は実に霊物である。わたしは試しにこれを取り、地におき上から桶で覆い、盤石でおもしをしておいた。そして翌朝開けてみると、ただ桶があるだけで蟾はいなくなっていた。また蟾蜍は海に入って眼張魚(めばるうお)となる。多くはその半ば変化したものをみかける。

「蟾酥(せんそ)」とは

 蟾蜍の眉間の白汁を蟾酥という。その汁は人の目に入れてはいけない。赤く腫れて目が見えなくなる。その時は紫草汁で洗眼すれば消える。
 蟾酥を取る法 手で眉の稜(かど)をひねって白汁を油紙の上か桑の葉の上にとり、日陰において一晩すれば自然に乾く。これを竹の筒に入れる。あるいは蒜(ひる)や胡椒などの辛いものを口中に入れると、蟾は自ら白汁を出す。竹べらでこれをこそげ落とし、麦粉に混ぜて塊にして乾かす。味は甘辛で温。毒がある。疳疾や疔(ちょう)・悪腫を治す。
△思うに、蟾酥はわが国では製しない。中華から来るものを用いる。正黒色で墨のようで平円。これを麦粉にまぜて塊としたものであろうか(辛、微苦、微甘)。ほぼ阿仙薬(百薬仙。タンニンを含むアカネ科・マメ科の植物より取った乾燥エキス)の気味に似ていて、辛みを帯びている。

ちょっと解説

  蟾蜍が「 月魄(つき)に感応」するのは、やはりこれも中国の書物『 淮南子(えなんじ)』 に、「日の中には烏がいて、月のなかには蟾蜍がいる」 という話に基づきます。それを示すのが、紀元前二世紀の墳墓「馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)」 から出土した帛画に描かれています。下図はそのトレース画です。 馬王堆漢墓にはったリンク先(ウィキペディア)に、カラー写真が掲載されていたので、それも併せてご覧下さい。
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