クラス便り8月号


オオバコの葉って、スゴイんです
校長:「この植物は、何かご存じかな?」

教頭:「ええ、これはオオバコですね。当校の近所でもたくさん生えておりますよ。これがいったい何か…?」

校長:「それがこいつは大した植物なのだよ。これを使えばカエルが生き返る!」

教頭:「はぁ?生き返るって…シャレですか?」

校長:「シャレではなーい!こいつを使っておまじないの文句を使えば生き返るのだ」

教頭:「それって…俗信でしょ?」

校長:「う…まぁそうなんだが、江戸時代の随筆集『擁書漫筆』には次のようにかいてある。

今の世児童がたはぶれに、蛙を打ちころし、車前草の葉をおほうて、おんばこどののおんとぶらひと、呼びはやしつつ、もてきょうずるに、見るまざかりに蛙いきかへりてとびゆく事あり

車前草とは、オオバコのことだね。しかし戯れとはいえ、カエルを打ち殺すとは許し難い所行なれど、こうした子供たちとの関わり合いは、江戸の世も今の世もあまり変わりないかもしれないな」

教頭:「そうですね。カエルは身近な生き物であるから、どうしてもこうした行為は避けられないですね。当校の生徒さんでも、覚えのある方がいらっしゃるようですし」

校長:「それはさておき、このオオバコの葉で生き返ることを踏まえて、こういう歌もあるぞ。

 おほばこの神のたすけやなかりけん
              ちぎりしことをおもひかへるは
(私にはオオバコの神の加護がなかったのであろうか。来るという約束をあなたが違えたりするのは)

これは平安時代に書かれた『蜻蛉日記』の一節、「あまがへる」にある歌だな。作者の藤原道綱の母は、夫の兼家の浮気に苦しみ、とある山寺に引きこもるのだ。世間ではそれを「出家した」と噂していたが、ある日夫の兼家に強引に連れ戻されたのだ。そのうえ、兼家はこのことから道綱の母を「あまがへる(尼帰る)」とあだ名したんだな。それで、このような歌を詠んだそうだ」

教頭:「なるほど、

ちぎり=約束、オオバコの葉をちぎる
かへる=蛙、変える

という掛詞になっているんですね。オオバコの葉の助けを借りても、生き返らなかったカエルの心境ですな」

校長:「このオオバコの葉を使ったまじないは、平安時代にはあったという証明にもなるね」

教頭:「そう言えば、江戸時代の俳人小林一茶の句で

卯の花もほろりほろりや蟇(ひき)の塚

ってのがありますね」

校長:「うん、これは『おらが春』の中の一句だね。この句の前にはこのような文章がある。

 爰(ここ)らの子どもの戯れに、蛙を生きながら土に埋めて、諷(うた)ふていはく、ひきどのひきどのお死なつた。おんばくもつてとぶらひにとぶらひにと、口々にはやして、ふいの葉(オオバコの漢名)を彼のうづめたる上に打ちかぶせて帰りぬ。しかるに本草綱目、車前艸(しゃぜんそう)の異名を蝦蟇衣(かぼい)といふ。此國の俗、がいろつ葉とよぶ。おのづからに和漢心をおなじくすといふべし。むかしは、かばかりのざれごとさへいはれあるにや。

この本文を受けて、「卯の花や」の句が続くわけだ。生き埋めにされたカエルを悼んで、その塚の上に卯の花がほろりほろりと涙のようにこぼれかかっている、とまあそういう情景を詠んだのだな」

教頭:「こんどは生き埋めですか…受難ですな」

教頭:「俗信の紹介であるとはいえ、どうも殺伐としたクラス便りとなりましたね」

校長:「うむ、それじゃ最後に小林一茶のこの句を紹介しよう。

人来たら蛙(かはづ)となれよ冷やし瓜

これは『七番日記』からだ。大事な物をしまっておくと、蛙になってしまうという俗信があるのだが、せっかく冷やしておいた瓜よ、誰かに取られそうになったら蛙のふりをしてやり過ごしておくれ、という意味だな」

教頭:「ほう、瓜の画像とトノサマガルを並べてみると…。こりゃ確かに蛙のふりができそうですな(笑)」

校長・教頭:「と、和んだところでまた来月〜!」