カエル娘画
数奇者の宝物は鉋屑と蛙の干物
(1)
永らへば また此頃や しのばれむ
         憂しと見し世ぞ 今は恋しき

校長:「この歌、聞いたことある人は挙手を願います。はい、だいたいの方がご存じ、もしくは「聞いたことあるなぁ」とお思いのはず。じゃ次の歌は?」

嵐ふく 三室の山のもみぢ葉は
        竜田の川の にしきなりけり

教頭:「「これも聞いたことある!」と思った人が多いと思います。この二首は、ともに小倉は百人一首から、上が藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)、下が能因法師の歌です」

(2)

校長:「この二人、ともに平安時代の歌人ですが、能因が中期(988-1058?)、清輔は末期(1104-1177)に活躍していました。能因は、のちに西行や芭蕉があこがれた歌人で、当時から風流に強く執心する「数奇者」として知られていました」

(3)

教頭:「この能因について、藤原清輔は『袋草子』(歌人たちがしのぎを削りあう歌会・歌合の実態や、古今東西の和歌について、また歌人たちのここの意識や行動などを記したもの)の中で、「さすがは数奇者、見習うべき」と紹介した逸話があります」

(4)

加久夜の長の帯刀節信は数奇者なり。始めて能因に逢ひ、相互に感緒有り。能因云はく、「今日見参の引き出物に見るべき物侍り」とて、懐中より錦の小袋を取り出だす。その中に鉋屑一筋有り。示して云はく、「これは吾が重宝なり。長柄の橋造るおの時の鉋屑なり」と云々。時に節信喜悦甚だしくて、また懐中より紙に包める物を取り出だす。これを開きて見るに、かれたるかへるなり。「これは井堤の蛙に侍り」と云々。共に感嘆しておのおのこれを懐にし、退散すと云々。

『袋草子』上巻 (『新日本古典文学大系29』岩波書店)
 

加久夜の長(東宮の警護の長)帯刀節信(たてわきときのぶ)は数奇者で、初めて能因と逢った時、お互い感動したという。能因は「今日お越しくださった記念の贈りものを見てください」と、懐中より錦の小袋を取り出した。その中には鉋屑(かんなくず)が一筋。説明によると、「これは私の宝物です。長柄橋(ながらばし)を造った時の鉋屑です」とのこと。節信はとても喜んで、今度は節信が懐中より紙に包んだものを取り出した。これを開いてみると、ひからびた蛙。「これは井手の蛙です」とのこと。お互い感嘆して、それぞれ懐にしまい、帰ったという。

(5)


校長:「長柄橋とは、淀川にかかる橋のことで、古来より歌枕として有名です。『古今集仮名序』では、「今はふじの山も煙立たずなり、ながらの橋も尽くるなりと…」書いてあり、当時の歌人にとって長柄橋は古い物、尽きた物の代名詞であり(9世紀頃に造られたがすぐに損壊し、以後は橋がないまま渡船が設けられていた。人柱をたてた話が有名)、その鉋屑は歌人、特に数奇物にとってはたいへん貴重なものでした」

教頭:「井手の蛙も、以前「クラス便り2000年12月号」にて紹介したとおり、山吹と並んで井手の枕詞として有名なものです。その井手の蛙の干物を持ち歩くとは、これまた数奇者にとっては、「なかなかやるな」といったところだったのでしょうね」

校長・教頭:「いくら大事にされるとはいえ、干物にはなりたくないねー」