クラス便り5月号

今月は、短歌と和歌で綴るカエルの世界です。


 
校長:「冬眠より醒めし蛙が残雪のうへにのぼりて体を平ふ

教頭:「ほう、短歌ですね。どなたの作ですか?」

校長:「斎藤茂吉じゃよ。『白き山』に収められた一首じゃ。土から出てきたカエルが、春の太陽を体に受けようとして体を平らに伸ばしている様子を詠ったものだろう。同じく『白き山』には、

 いたきまでかがやく春の日光に蛙がひとつ息づいてゐる

という一首もあるな。想像してみてくれたまへ。春の日差しを喜ぶカヘルの姿を!」

教頭:「校長、興奮して旧仮名遣いになってますよ。それにしても今年は暖かくなるのが早かったので、カエル達も3月初旬には冬眠から目覚めたようです。ほんと早くからケロケロ鳴いている声が聞こえてきました」

校長:「うん、これからは恋の季節になるので、さらに元気よくケロケロ鳴いてくれることだろう。そのカエルの鳴き声は、古来より和歌でも詠まれておるな。例えば

山寺にまうづる道に、木々のもと過るほどに、あまがへるのなきしかば、
 あまがへる 鳴や梢のしるべとて
              ぬれなんものを行やわがせこ

【藤原長能集】
(訳 アマガエルが梢で鳴いているから、それを山寺への道しるべとしよう、もうすぐ雨が降るのだろうが、濡れるのを覚悟でこのまま行こうや、我が恋人よ)

というのがあるな。これはいわゆるシャワーコールだな(2001年5月号参照のこと)

教頭:「ええ、雨が降る前に鳴くというあれですね。もう一つメイティングコールというのがあったように記憶していますが・・・?」

校長:「そうそう、メスを呼ぶため夜中鳴き交わす声がメイティングコールじゃ。その鳴き声を聞いて、人間達も恋心をかき立てられるらしく、いくつかの和歌がのこっておるぞ。

 我が宿に あひ宿りして住む蛙 夜になればや物は悲き

(よみ人しらず)
【後撰和歌集巻第十八 雑四】
(訳 我が宿に同居して住んでいる蛙は、夜になったから、私と同様に物悲しいのだろうか。あのように鳴いているよ)

あぁ、私も彼女が欲しいぃ〜ケロケロぉー!!」

教頭:「校長、落ち着いて下さい!ほ、他にもあるのでしょう?」

校長:「はっ、そうだった。同じ『後撰和歌集』の「巻第十二 戀四」では

男の、物など言ひつかはしける女の田舎の家にまかりて、叩きけれども、聞きつけずやありけん、門をあけずなりにければ、田のほとりに蛙の鳴きけるを聞きて

 葦引の山田のそほづうちわびて
              ひとりかへるの音をぞなきぬる

(よみ人しらず)
(訳 山の田に立っている案山子のような私は、目的とする人に逢えずに、すっかりつらくなり、空しく一人で帰るということで、蛙のように、声を出してないているのですよ)
(解説 「ひとりかへる」が「一人帰る」と「蛙」の意をかけてある掛詞となっている)

かわいそうに、この男は彼女に振られたんだね。だけど鳴いているカエル達は彼女を求めているんだから、振られて鳴いている男の心情とはほど遠いけどな」

教頭:「いや、校長。それを言っちゃあ、お終いです」

校長:「和歌では「カエル」がよく掛詞として出てくるのだか、それはまた次の機会に紹介しようと思う」

教頭:「それって、ネタの出し惜しみってやつですね?」

校長:「だから、それを言っちゃお終いよ(笑)。ってな訳で、また来月。そうそう、来月は「K-1」開催予定ですぞ!」


 
Special Thanks
今月号で、和歌の訳注および解説を手伝って下さったのは、GARAさんちの夫の人です。夫の人、ありがとうー!
(←夫の人近影ver.2)

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